◆ No 03 Qualifying
School ダビドフツアー 編 -2001年3月
パルティ読者の皆さんの中には、この連載を書いている私がどんな試合に参戦しているんだろう、と思う方も少なからずいらっしゃるでしょう。今回は、ちょっと趣向を変えて、ゴルフツアーについて触れてみようと思います。
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私が参戦している試合はマレーシアツアーが年間15試合、シンガポールサーキットが年間6試合、ダビドフツアーが年間30試合になります。その中でも、賞金が日本のツアーに引けを取らないダビドフツアーをここ数年メインにやってきたのですが、一昨年のQualifying
School(試合に出場するための予選試合)で、ファーストステージで見事に落ちてしまったため、昨年は12月のシンガポールオープンとマレーシアやシンガポールの賞金の比較的安い試合にしか出場することができませんでした。そのため、生活に困った私は、ゴルフレッスンで稼ぐしか道がなかったのです・・・。
でも、今年のダビドフツアー参加出場権をかけた、タイのホワヒンで行われた予選試合では、130人中40人タイという難関を楽々くぐり抜け、そして今回、マラッカのOrnasteelゴルフクラブで二次予選と最終予選が行われたのでした。皆さんご存知の通り、マラッカと言えば私の地元であり、しかもOrnasteelゴルフクラブは、所属していたGolden
Vallyゴルフクラブから12キロという近さにあるゴルフ場なのです。
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まず第二次予選では、一次をクリアした43人と世界各地から集まった外国選手50人、日本のJGTO(日本の男子ゴルフトーナメント運営組織)の最終予選上位40人、の合計130人が参加。このうち、上位60人タイまでが決勝に進出できるのです。
練習日から風邪をこじらせた私は、39度の熱と共に毎日ユンケルを飲みながら(ユンケルは日本から日本人選手の阿部君が12本持ってきたうち、10本を飲み干してしまいました)二次予選に参加、この体調にもかかわらず見事クリアしたのです。
今回の二次予選はかなり強敵揃いだったため、シンガポール出発前は自分の中では二次予選はまさか通るまいと思い、決勝の週のレッスンは月曜日から日曜日までびっちり組んでいました。
そのため急遽キャンセル、たくさんのオ○タリアン達に愚痴を言われながらも、決勝に進んだのでした。
決勝では、二次予選を通過した65人と前年度のランキング61位から80位までの選手、さらにヨーロピアンツアー上位30位までの選手、南アフリカツアー上位30位までの選手の、合計130人が参加しました。
そのうち日本人は38人。日本人選手は、今から7〜8年前は30代の方が多くいましたが、今では大学生ゴルフ部上がりの人達が半数以上を占めていて、非常に年齢層が若返ったと言えるでしょう。
また、ゴルフと言えば、服装や髪型がとてもまじめそうな雰囲気があったものですが、今ではロンゲや金髪が当たり前という状況になっています。
年々そのことに感づいていた私も、マラッカに入った日に年甲斐もなく、いつも間にかパーマ屋で知らない間に髪の毛にブリーチをしていたのでした‥‥。
決勝の練習日から日本人選手と練習ラウンド。最初は風邪のためドライバーの飛距離が落ちていると思っていた私ですが、他の選手のクラブを借りてびっくり! 私のクラブより20〜30ヤード飛んだのです。タイガーウッズの影響もあり、全部ダイナミックゴールドのX100(スチールシャフトで、ドライバーにおいては、はめている選手はほとんどいません)をつけていたからでしょうか。でも、時代と共にクラブやホールは目まぐるしく進歩しています。
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さて、肝心の決勝の結果は上位40位に入ると、年間30試合出場が可能になりますが、私の順位は‥‥99位。
去年の結果から見ると約半分には出場可能なので、今年はスリクソンの「XXIO」と共に、できる限り良い成績を上げようと思います。これからもヨロシク!
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